石川県読書会連絡協議会総会 記念講演の記録
今年令和6年5月26日には、石川県読書会連絡協議会総会で「泉鏡花と能登 ~『山海評判記』を中心に~」と題し、記念講演が行われた。以下、講演記録を載せておきます。
石川県読書会連絡協議会総会記念講演(午後一時四十五分~三時三十分)
・講師 泉鏡花記念館館長 秋山 稔氏
・演題 泉鏡花と能登 ~「山海評判記」を中心に~
・講演内容
1、『山海評判記』は、昭和四年七月~十一月「時事新報」夕刊に百二十五回連載された新聞小説。 〔作品の構成として以下のプロットを取り上げ内容を説明。〕
・主人公作家の矢野誓は、生贄として井戸に落とされた子雀を助けたことから、井戸を覗く三人の女の幻影に付きまとわれている。
・能登の和倉温泉鴻仙館に逗留する。その夜に、「長太居るか」という女の呼び声に「居る」と答え、色っぽく「七年さきの夫の仇」と言われる。
・東京には矢野と親しい花柳界のお李枝がいて、白山信仰の門徒を名乗る安場嘉伝次という飴屋の勧めで和倉を訪れる。
・その飴屋は「長太居るか」の声の出所の物語「長太狢」や、井戸で堕胎の願掛けをした三人の女が亡くなる物語を絵解きするとされる。
・矢野は能登で不思議な事件に遭遇する。
・中島・富来間をドライブ中、合歓の木陰に女の生首に似たオシラ神が祀られて居るのを発見する。
・オシラ神の起源が白山信仰であり、かつて井戸覗きの女三人のことを教えた老婆もオシラ神を奉じる巫女だったのではと思う。
・矢野はお李枝に、和倉温泉鴻仙館にあった掛け軸の署名がライバル媛沼綾羽の雅号呉羽であったことに気づき、 周囲で起きた異変は綾羽に関わっているのではと語る。
・その翌日お李枝を乗せてドライブ中に、増穂が浦に向かう途中追手から逃げようとする女工を助けて同乗させた。
・鉈打峠で馬方に襲われお李枝を犠牲に差し出せと脅されるが、女工が白山姫神の使いとして馬方の目を突いて救う。
・女工に綾羽の身内かと問うと、「お師匠さんはあらためて、ーーーまたお目にかかります」と答える。
・その夜、鴻仙館の部屋の外から白神の姫神さまのお告げで、「お李枝をあなたにやらぬ、こなたに渡せ」という声が響いた。
2、難解なこの作品の評価として二つの評論を紹介する。
(1)福永武彦「『山海評判記』再読」で初めて言及される。
・不思議な作品である。人物の動機が曖昧。
・お李枝の能登来訪の理由が明らかでない。
・最も理解しにくいところは、オシラ神の一党は矢野の敵か味方かという点。
・舞台の裏から糸を操っていると思われる綾羽=呉羽が祟りをもたらしたとすれば、お李枝を自分の後継者にしようとしたと思える。
(2)清水潤(都立大)「物語研究」(令和二年)に「小説家の眼差しの彼方にーーー視線のドラマとしての『山海評判記』」がある。
・『山海評判記』全体を通観して、矢野と好敵手姫沼綾羽の関係が〔見る〕存在と〔見られる〕存在の、支配関係のドラマとして見ることができる。
・矢野が大樹の杉の精の袴越しに白衣を見た時の仰ぎ見るという構図は、最終的に綾羽に支配されることを示している。
3、作品の背景
(1)柳田國男『巫女考』(「郷土研究」大正二年)の影響
・オシラサマの正しい本命は白神である。
・白山の神を白神というのはあり得べき事である。
・この社の下級の神人が、ほとんど漂白というべき旅行を以て、権現の信仰を全国に伝播した事実がある。
・以上からオシラ神という物の起源のみは、白山の神招(かみおき)に用立てた異同的霊位すなわち手草であったと見るのがよい。
(2)泉鏡花自身の昭和四年の能登行き体験
・三月十八日 自動車で柳田國男宅を訪ねるが外出中で会えず。それは、前年同日に八戸のイタコの石橋貴子を招いてのオシラ様祭への案内状を当日と間違えたことによる。
・五月五日 市村座五月興行「婦系図」見物。この月、すず夫人に目細てるを加えた三人で、和倉温泉和歌崎館に遊び、帰途金沢市柿木畠の藤谷旅館に泊まった。
(3)小村雪岱「『山海評判記』のこと」(『鏡花全集』月報、昭和十五年)で執筆時の泉鏡花を描く。 ・「私はこの小説に怪しげな挿絵を画きましたので殆ど毎日のように先生に御目にかかりました。」(挿絵画家の小村雪岱は最初の読者になる。)
・「この小説は起稿より御脱稿までの凡そ五ヶ月間位、先生は外出もなされず、あまり人にも遇われず毎日必ず組込の五日前の原稿を一回宛御書きになられました。」
4、能登と鏡花をテーマに『山海評判記』以外の作品を紹介。
自著「解説 金沢郊外から能登へーーー『幼い頃の記憶』『瓜の涙』『河伯令嬢』(『新編泉鏡花集』第二巻)」で、『河伯令嬢』を紹介する。
・奥の細道の能登版と言われる。
・『瓜の涙』で運命的な出会いをした男女のその後を描いた作品。
・夏吉とお優が金石街道にある義経ゆかりの人待ち石で出会うが、村の若者たちにお優を奪われ瓜番小屋に連れ込まれる。
・お優を救えなかった夏吉は、能登の大笹鉱泉で金沢の俳人可心の『能登路の記』を読み、お優の魂のありかを知り再会する。
・重要なのは、可心も『能登路の記』も存在せず、大笹に川裳明神を祀った場所はなく、鏡花の創作だったこと。
・太田道兼『能登名跡志』に取材し、芭蕉「奥の細道」を念頭に置いて書かれた。
・当時俳人が能登を訪れなければ一人前の宗匠と言われない風潮があった。
*その他、先生の作品研究から鏡花の能登各所に由来する場面の解説がされました。
0コメント