「姫ヶ生水」講演会開催まで(文責:藤井)
長編『姫ヶ生水』を読了してまず感想を述べてみたい。野露読書会メンバーの中で既に読了している人が4名ほどいた。押し並べて引き込まれるように一気に読んだと言っていたが、私は引き込まれた章はあったものの一気に全てを読んだわけではなかった。電話の時、松村さんを先生とお呼びした時とても謙遜されて、そんなんじゃありませんと何回も否定されたが、文体自体も一介の「おばあちゃん」が書いたという設定であった。意図的というより、ある意味素人小説でいいと割り切っているようにも感じられた。先生や作家という地位を嫌う矜持を感じもした。だから敢えて等身大を守っているところが、高齢者がほとんどの野露読書会メンバーを引き込んだ最大の要因だと思える。 それでも難しい漢字を使ったり、小説中に後世に残す綴本の文章をはさんだり(作中作という入れ子構造)という設定をしていて、決して分かりやすくが一義ではないと思えた。文学への愛もあると思った。主人公の「松」と3人の娘の生涯を描いた大河小説とも言えるし、霞谷という村の成り立ちと、「姫ヶ生水」にまつわる伝説を物語にして再生する時代小説、あるいは(世界文学に通じる)共同体の物語と解釈できると思う。それは作家になろうという大袈裟な野望があって書いているのではないからこそ、書けたのではないかと思われた。もし作家になろうという意識があったら、83歳で初めて書くというのはあまりにも遅すぎるわけである。 ところで私が興味を持ったのもそのことだった。83歳で初めて小説が書けたという事実、それも577ページという長編を5年をかけて自費出版に至るという快挙がある。また自費出版が目に留まって、金沢の泉鏡花記念市民文学賞を受賞する、結果も付いてきたのである。これだけでもニュースになり、講演をお願いする理由になる、、、と私は思ったのだがご本人はそうは思われず、極めて謙虚で私などがお話しできることはありませんと(最初は)断られたのだった。
主人公松の姉、美伊子が昭和6年(1931年)に37歳で亡くなり、その時松は32歳だったから、松の生まれは1899年(明治32年)になるだろうか。私の母が昭和4年(1929年)生まれなので、松は私の母の30歳年輩になる。だから松は私にとって母方の祖母のちょっと上くらいの人で、私の「お婆ちゃん」の話としてこの小説を読んだことになると思えばたいへん身近な話だ。私の母は能美市辰口町の鍋谷という村の生まれだ。作中にも鍋なんとか(名前は思い出せません)という村が出ていた。松の子は並、好子、外志の三人姉妹だが、私の母は8人兄妹の6番目だった。母は一時期小松製作所に勤めていたことがあり、外志が工場のある会社に就職したとあったので私の母と外志は同世代なのかもしれない。また、好子の夫が大工だったが私の父も大工で、内地ではあったが戦時体験をしている。このように私の親と松の子供とはほぼ同世代同郷で、「姫ヶ生水」は私の親世代の同時代小説とも言える。
今、長編「姫ヶ生水」を読み終えて改めて思うのは、親の世代は生きるのに精いっぱいで正に人生を全うしたという感慨である。父親は家族の大黒柱としての姿を示し食い扶持を稼ぎ、母親は家計を預かり子供の養育に専念する一生の中に、わずかの休息と安寧があるような人生だ。本人には落ち度がなくても嫉妬されてしまったり、自分から自然と劣等感に駆られたり、松の生きた時代の家では、貧困からどうしようもなく里子に出されたりする。
子供から思春期を経て社会に出て結婚し家庭を築く成長過程で、姉妹、親子、嫁姑の関係において性格の違いや家格の違いによる様々な困難や病苦との闘いがある。長女の「並」の性格上の歪みから次女の「好子」は深刻ないじめに遭う。夫の「徳之助」は「並」の赤痢の後、心筋梗塞で突然死する。松の姉「美伊子」は膵臓がんのため37歳で他界する。美貌であるための恋の試練は、松の夫「徳之助」の母「菊」や、好子の夫の「保」の母「鶴」の母「雪」に訪れた。好子自身も美貌から婚約者の「辰男」に不運が訪れる。
親世代のこのような出来事を読むとやはり時代の差を感じる。松の賢明に生きる姿は松の母「りく」の反対を予想して独断で決める場面もあり、幾分余裕のなさを感じさせる。明治生まれの頑固さがあるのか、逞しい母である。それでも並の捻くれて自傷してしまう感情に同情する繊細さもある。弱さにも理解があるのである。
「姫ヶ生水」の17,18,19,20章は主人公好子の義理の父の昔話を書きとるという設定で、荘園間の争いから生き延びるために山を越えてついに「白糸の滝」を見つけ、そこで山の衆としての営みを始める話や、そこから200年後多分架空と思われる「霞谷村」が形作られるようになった頃、平家の落人が逃げ延びてきてその中の照姫が杖を突いて湧き出た泉が「姫ヶ生水」伝説の元になったという話がある。さらに600年後、平家落人の末裔と山の衆の末裔が協力して山を切り開き、一大事業「都大路」を成し遂げる伝承話が書かれる。これらの話は小説中小説のような入れ子構造になって面白い趣向になっている。これらの章のためもあってか、全体として時代小説とは違う印象がする。おそらく文学のプロからすると中途半端な小説ということになるのかもしれないが、地元の普通の読者からすれば、身近に等身大の歴史が学べるエンタメ小説になるかもしれない。 この小説は一口でどんな小説かを述べるのはむずかしい。小説を読み進めるうちに主人公が入れ替わり、最後には霞谷村という共同体が主人公ではないかと思えてくる。大河小説とも村落共同体小説ともとらえられると思う。それほどスケールが大きいし、時間の射程の長い小説で、読み応え満点である。
「姫ヶ生水伝説」講演会に向けて
私は来月、「姫ヶ生水」という小説の作者、松村昌子さんに講演してもらうようお願いして了解をいただいている。その小説は私にとって初めての等身大に思える作品だ。主人公は普通の人で村人である。作者は80歳近くなってから初めて小説を書き始めて5年ほどかけて書き上げて自費出版したという、文学とは長い間縁のなかったお婆ちゃんだ。本職は九谷焼の作家だ。陶芸家のプロであっても、文学では素人である。しかし自費出版した本は、令和4年度金沢市民文学賞をいきなり受賞したのだ。私は男性だから等身大といっても違いはあるし、小説を読む方は等身大かもしれないが、書く方は能力の差は歴然とある訳である。ただこれまで読んできた作家に比べると、自分との距離が格段に小さいというに過ぎない。ノーベル賞や芥川賞や直木賞作家ではなく、地方の職業作家ではない一文学愛好家の市民文学賞受賞者という、距離にあるわけだ。
実際講演をお願いした際、少しも上から目線で接せられる気がしなかった。むしろ読書会の皆さまにお話できるような者ではありませんと固辞されたくらいだった。このことが十分な時間をかけても講演会を主催する意義があると考える理由になっている。 もう一つ等身大と思えるのは、作品そのものが映画などの時代劇や歴史小説ではなく、小説形式は取っているものの民間伝説の物語だということにあると思われる。ある意味作り物の芸術やフィクションではなく、伝説とはいえ実際にあった話をもとにしていると信じられるのである。だから歴史の事実を知りたいという欲求に応えられるし、自分の祖先をたどって自分のアイデンティティを探ろうという欲求にも応えられる。それが学問としての歴史や民俗学を研究しなくても小説を読むだけで得られるのは、忙しい現代人にも受けるのではないかと思う。
ただ580ページの長編小説を読むのはしんどいという意見もあるだろう。実際、文体は読みやすくスラスラ進むのだが、登場人物が多く次から次と新しい登場人物が出てくるとついていくのにしんどい面はあった。 今度野々市市の読書会主催で講演会を開くことになって、講師に講演依頼の手紙を出そうと思っている。講師は83歳で初めて小説を書き、昨年金沢市の市民文学賞を受賞された松村昌子さんで、電話をして既に講師を引き受けて頂いている。ただ、どんな講演をしていただきたいかは、はっきりとした要望とか趣旨は手紙でないと伝えられないと思って後日連絡しますとしていた。電話では聴衆者のほとんどは読書会の会員で、講演会には著書の『姫ヶ生水』を読んで参加するようにする、とお伝えした。 電話の時は私はまだ著書を読んでいなかった。要望とか趣旨は読了した上でないと定まらないと考えていたわけである。順番がおかしいのは承知の上で、そうしないと会場が押さえられないし、読書会の上部団体への申請も済ませておく必要があったのである。
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